京都の四条大宮近辺で生まれた。
非ギャンブル家系で育つ。
親父はギャンブルをしない。母親も全くしない。
姉一人、弟一人いるが、どちらもギャンブルをしない。
弟はパチンコ屋で10年以上バイトをしているが、一度もパチンコをしたことがないと言っていた。
なかなか面白い奴である。

幼稚園くらいの小さな頃、親父に四条大宮のパチンコ屋に連れていってもらったのを覚えている。
確か、焼肉か、お好み焼きかを二人で食べに行った帰りだ。
てくてく歩いて帰っていると、電飾の派手な看板が目に入った。
親父に、「なんやこの店?」
と聞き、これがパチンコ屋という店、賭け事をする場所ということを知った。

興味を持った俺は店に入りたくなり、「入るだけやぞ。」
と親父に言われ店に入ったが、店に入るとパチンコという物をやってみたくなり、
「やらせてくれ。」と親父にせがんだ。
親父は、「やめとけ、金の無駄や。」
とか言っていたような気がするが、少し酒が入り酔っていたのか千円だけ機械に突っ込み、結局打たせてくれた。
子供がパチンコを打っていても、注意されない寛容な時代のことである。


もちろん大当たりなどせず、下のほうにある玉の吸い込み口というのか、スルスルと玉が吸い込まれていったのを覚えている。
玉が全部無くなり親父に
「もう終わりや。な、こんなん儲からへんやろ。」
と言われた。

俺はそれ以来、パチンコをしていない。


時は経ち、大人になった俺はパチンコ屋の件を思い出し、
「あの時当たらなくてよかった。」
と本気で思った。
なぜなら、あの時に当たっていたら、親父の人生が狂っていたかもしれないからである。
ギャンブルに取り憑かれ、家庭が壊れていたかもしれない。
親父は今も、ギャンブルをしない。


「ギャンブルは魔物・・・」
よく聞く言葉である。
なるほど、
悪魔との取引に似ている。
「金=命」 
と考えるなら、ギャンブルは自分の命を賭け、寿命を延ばす、又は縮めるゲームをしているようなものである。
勝てば人生において、大きなプラスとなり、負ければ命を失いかけない危険なゲームだ。

「やらないのが賢明なのか・・・又は、命を賭け悪魔と勝負するべきか?」

答えは誰にもわからない。

ギャンブルとは、悪魔との取引の連続なのである。